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工場と住宅・福利施設の一体建設(南街)

工場と社宅.jpg
東京瓦斯電気工業(株)の工場と社員施設
 鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
 第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
 当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…

山の神社

山神社.jpg
原にまつられた
 狭山神社本殿の石段を登ると左側に山神社があります。
歴史的には村人達が居住地としていた狭山丘陵南麓から遙か南の畑が続く一角にまつられていました。
いつ頃からまつられたのか創建年代については、古書が
『新編武蔵風土記稿』
・山神社…

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小学校の建設

小学校の成立.jpg
 高木他五カ村が大和村になって、解決を迫られたのが小学校問題でした。大和村の村域には、明治末から第一、第二、第三村山尋常小学校の3校がありました。時代を経るに従って学齢児童の増加に苦慮します。本来なら小学校の増改築をすべきなのに、…

子抱地蔵尊

1子抱地蔵尊.jpg
 奈良橋庚申塚墓地に子抱地蔵尊(こだきじぞうそん)があります。墓地入り口から右手数体の石造物がまつられれている中の一体です。
 文化4年(1807)、「女念仏講中」がまつりました。村山貯水池に沈んだ宅部(やけべ)・内堀地域の女衆です。
 左側面には「内堀村」と彫られています。
この時点では、同地域は「宅部村」でしたがあえて念仏衆は「内堀村」を彫り込みます。

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天王様

天王様の扁額.jpg

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大まかな歴史の流れ 近世3

1_20年で野火止用水際まで達成.jpg
生産性の低い新田 農間稼ぎ
1 空堀川までが日常生活圏
早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。
しかし、東大和市域内では承応4年(1655)、野火止用水完成後間もなくから開墾が始められ延宝期(1673~1680)…

大まかな歴史の流れ 近世2

1一挙に進んだ江戸の市街地.jpg
1玉川上水・野火止用水の開削、細長い村
江戸市中の整備・家臣団の集住 …

大まかな歴史の流れ 中世2

1義貞軍と鎌倉軍の動き.jpg
南北朝から室町時代
1 新田義貞鎌倉攻めの時
新田義貞挙兵 元弘3年(1333)、…

塩釜神社

塩釜神社全景_神社右側は講中の受付所、絵馬堂.jpg

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