アイテム (合計 15個)

  • コレクション: 中世

大まかな歴史の流れ 中世2

1義貞軍と鎌倉軍の動き.jpg
南北朝から室町時代
1 新田義貞鎌倉攻めの時
新田義貞挙兵 元弘3年(1333)、…

建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社)

1『新編武蔵風土記稿』による記述.jpg
 元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。その時、東大和市域はどのような状況にあったのでしょうか。僅かな手がかりがあります。
 芋窪の豊鹿島神社に、建武3年(1336)銘の刻まれた鐘があったことが伝えられます。
豊鹿島神社は慶雲4…

板碑

1三光院境内にまつられている板碑.jpg

貞治七年(1368)の板碑いずこ

1狭山之栞掲載図.jpg
 貞治七年(1368)は河越氏が時の幕府、関東管領上杉憲顕に反乱を起こし、武蔵に平一揆(へいいっき)と呼ばれる戦乱が起きた年です。河越氏は上杉軍に攻められ、河越館で落城の憂き目に遭いました。それに加わった山口氏の高清が自害を遂げたと伝えられます。
 この時、山口氏に隣接する東大和市域では何が起こったのか?
 郷土史を学ぶ者にとって猛烈な関心事です。たった一つ、この年を語る物証の板碑がありました。
『新編武蔵風土記稿』は、「古碑 一基…

東大和市中世の神社と寺院

1東大和市中世の神社.jpg
 東大和市の中世、狭山丘陵に板碑が建立されました。その一方で、谷ッを中心に集落が形成され、神社や寺院の創建が進みます。その位置関係は下図の通りです。
東大和市内中世の神社、寺院の創建関係の記録、伝承は次の通りです。
神社
・豊鹿島神社(鹿島大明神) 創建伝承 707(慶雲4)…