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狭山村の誕生

1狭山神社全景.jpg
地租改正・明治8年
 狭山神社周辺から霊性庵、東邦団地、西武団地、村山貯水池一帯が狭山村をつくった旧地です。
(画像:狭山神社全景 参道は村山貯水池に沈んだ地域への主要交通路であった)
 貯水池に沈んだ地域に「宅部村」、丘陵の谷ッに「後ヶ谷村」がありました。
 明治8年(1875)3月、この二村が合併して「狭山村」が生まれました。
 その背景には明治新政府の地租改正が色濃く影響しています。
・宅部村は御霊神社(御霊明神・1063年)…

玉川上水への通船4 通船の廃止

1「小川村地内合樋分水新掘割」.jpg
1沿岸住民の妨害
 玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870)…

玉川上水への通船2 明治時代の通船開始

1五日市街道の大欅_砂川村の名主家.jpg
1通船願い
 江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ねて通船願いを提出します。羽村から内藤新宿・四谷大木戸間の舟運です。
  玉川上水船筏通行願
    明治二年九月
      武州多摩郡羽村名主源兵衛 砂川村名主源五右衛門、福生村名主田村半十郎

獅子舞付属道具および衣裳 一式(市郷土資料)

3_1高木獅子舞一式.jpg
 昭和49年9月20日指定
高木神社の祭礼は毎年9月に行われた。この祭礼に獅子舞が行われたことは杉本林志の著「狭山の栞 」に「尉殿神社は村の惣鎮守地(中略)祭典は毎年9月19日獅子舞の神事を古例とする 」とあれば江戸時代末期にはすでに舞われていたと思われる。獅子舞は風流型式に属するとみられ使用する獅子頭は龍系に属するものとみられる。市内唯一の獅子舞であり周辺の獅子舞の系統、 江戸時代の信仰を知る上で貴重である。

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阿字庚申塔(市郷土資料)

1阿字庚申塔_雲性寺本堂内.jpg
 東大和市内でも、周辺市でも極めて特色ある庚申塔が雲性寺にまつられています。
「ァ字庚申塔」です。
東大和市では市文化財「郷土資料」に指定しています。
(画像:阿字庚申塔 雲性寺本堂内)
所在地 東大和市奈良橋1-363…

市技芸 清水囃子

4_1清水囃子.jpg
清水3丁目786-1 清水囃子保存会
昭和49年9月20日指定
清水囃子は江戸の祭囃子 の亜流であって俗に「おはやし」とも若囃子(馬鹿ばやし)とも呼ばれていた。使用する鳴り物(楽器)は7孔の篠笛大太鼓(大胴)が1個、締大鼓(小太鼓)が2個当り、鉦(よすけ)が1個と拍子木である
起源については確たる文献は見えないが、幕末の頃に当時の北多摩郡清水村の農民たちが娯楽とし て鎮守の祭礼や「ものび 」などに演ずる祭囃子を要望して、高円寺村の半次郎という者が祭囃子の名…

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蔵敷高札場(都旧跡)

1蔵敷高札場.jpg
截數
大正11年8月指定
高札とは江戸時代奉行所からの定書、法度など板札にしたため一般住民に対する政令、周知のため通行人の多い社や名主の家の近くに掲げられたもので俗に御判行ともいわれた。この場所を御高札場という。
高札場は、江戸幕府が政令周知のために設けた掲示場で、慶長8年(1603年)3月の関東郷中に一般住民の対領主代官関係の年貢訴証等のことを布告したのに始まり高札として村々に政令が出されたのは正徳元年(1711年)5月の親子兄弟切支丹禁制条等が最初である。

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豊鹿島神社本殿(都重宝)

豊鹿島神社本殿.jpg
附棟札天文19年建立の記がある。
芋窪2丁目2067
農鹿島神社
昭和39年11月21日指定
豊鹿島神社は、その始まりが慶雲四年(707年) 」と言い伝えられ、今から1300年近い歴史をもっています。古く由緒ある神社といえば延喜式内社ですが何故かこの神社は式内社にはなっていません。しかし、江戸時代には御朱印を13石頂載していたので小さな式内社よりずっと立派です。本殿は関東地方でさえ稀な中世室町期の建築である。

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円乗院本堂左側の石造物

1江戸初期から幕末間の地蔵尊や石灯籠.jpg
 円乘院本堂左側に石造物が並んでまつられています。元禄7年(1694)の地蔵尊は東大和市内で二番目に古い地蔵尊です。
 二つの石灯籠があります。いずれも神様と仏様が一緒に信仰されていた神仏習合時代のものです。円乘院の山号を愛宕山とするように、山内鎮守・愛宕大権現に奉納されたものです。
地蔵尊1…

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蔵敷庚申塚の石造物

1蔵敷庚申塚の石造物.jpg
 蔵敷庚申塚は奈良橋の庚申塚と共に、東大和市に名の残る庚申塚です。変形されていますが塚の形を残します。塚には、次の石造物がまつられています。左から
・湯殿山大権現祈願塔(天明2年・1782)
・馬頭観音(文政8年・1825)
・庚申塔 (明和元年・1764)
・西国・坂東・秩父百番霊場巡拝供養塔(明治28年・1895)
です。
(画像:蔵敷庚申塚の石造物、左から湯殿山大権現祈願塔(天明2年・1782)、馬頭観音(文政8年・1825) 、庚申塔…

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高木神社前の石造物

1高木神社前の石造物.jpg
 高木神社前、清戸街道に面して5体の石造物がまつられています。
 道路の拡幅などにより、この地に遷されました。
享保4年・1719から昭和4年・1929に至る村人達の祈りの対象です。

(画像1:高木神社前の石造物)
(画像2:左から馬頭観音(慶応4年・1868) 供養碑 馬頭観音(文政11年・1828) 供養之碑)
(画像3:左から庚申塔(享保4年・1719) 馬頭観音(天保5年・1834) 馬頭観音(昭和4年・1929))

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子抱地蔵尊

1子抱地蔵尊.jpg
 奈良橋庚申塚墓地に子抱地蔵尊(こだきじぞうそん)があります。墓地入り口から右手数体の石造物がまつられれている中の一体です。
 文化4年(1807)、「女念仏講中」がまつりました。村山貯水池に沈んだ宅部(やけべ)・内堀地域の女衆です。
 左側面には「内堀村」と彫られています。
この時点では、同地域は「宅部村」でしたがあえて念仏衆は「内堀村」を彫り込みます。

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