アイテム (合計 16個)

  • コレクション: 明治

狭山村の誕生

1狭山神社全景.jpg
地租改正・明治8年
 狭山神社周辺から霊性庵、東邦団地、西武団地、村山貯水池一帯が狭山村をつくった旧地です。
(画像:狭山神社全景 参道は村山貯水池に沈んだ地域への主要交通路であった)
 貯水池に沈んだ地域に「宅部村」、丘陵の谷ッに「後ヶ谷村」がありました。
 明治8年(1875)3月、この二村が合併して「狭山村」が生まれました。
 その背景には明治新政府の地租改正が色濃く影響しています。
・宅部村は御霊神社(御霊明神・1063年)…

玉川上水への通船4 通船の廃止

1「小川村地内合樋分水新掘割」.jpg
1沿岸住民の妨害
 玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870)…

玉川上水への通船2 明治時代の通船開始

1五日市街道の大欅_砂川村の名主家.jpg
1通船願い
 江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ねて通船願いを提出します。羽村から内藤新宿・四谷大木戸間の舟運です。
  玉川上水船筏通行願
    明治二年九月
      武州多摩郡羽村名主源兵衛 砂川村名主源五右衛門、福生村名主田村半十郎