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豊鹿島神社本殿(都重宝)
附棟札天文19年建立の記がある。
芋窪2丁目2067
農鹿島神社
昭和39年11月21日指定
豊鹿島神社は、その始まりが慶雲四年(707年) 」と言い伝えられ、今から1300年近い歴史をもっています。古く由緒ある神社といえば延喜式内社ですが何故かこの神社は式内社にはなっていません。しかし、江戸時代には御朱印を13石頂載していたので小さな式内社よりずっと立派です。本殿は関東地方でさえ稀な中世室町期の建築である。
芋窪2丁目2067
農鹿島神社
昭和39年11月21日指定
豊鹿島神社は、その始まりが慶雲四年(707年) 」と言い伝えられ、今から1300年近い歴史をもっています。古く由緒ある神社といえば延喜式内社ですが何故かこの神社は式内社にはなっていません。しかし、江戸時代には御朱印を13石頂載していたので小さな式内社よりずっと立派です。本殿は関東地方でさえ稀な中世室町期の建築である。
タグ: 芋窪
豊鹿島神社本殿の棟札3 天正4年(1576)
創建棟札(文正元年・1466)、天文19年(1550)の棟札に続いて3枚目になります。
(3)天正4年(1576)棟札について
豊鹿島神社現本殿棟札に、天正4年(1576)のものがあります。
表面
武州多東郡上奈良橋郷 細野主計殿 番丈衆十人御力合
奉造立鹿嶋大明神社檀一宇事
…
(3)天正4年(1576)棟札について
豊鹿島神社現本殿棟札に、天正4年(1576)のものがあります。
表面
武州多東郡上奈良橋郷 細野主計殿 番丈衆十人御力合
奉造立鹿嶋大明神社檀一宇事
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貞治七年(1368)の板碑いずこ
貞治七年(1368)は河越氏が時の幕府、関東管領上杉憲顕に反乱を起こし、武蔵に平一揆(へいいっき)と呼ばれる戦乱が起きた年です。河越氏は上杉軍に攻められ、河越館で落城の憂き目に遭いました。それに加わった山口氏の高清が自害を遂げたと伝えられます。
この時、山口氏に隣接する東大和市域では何が起こったのか?
郷土史を学ぶ者にとって猛烈な関心事です。たった一つ、この年を語る物証の板碑がありました。
『新編武蔵風土記稿』は、「古碑 一基…
この時、山口氏に隣接する東大和市域では何が起こったのか?
郷土史を学ぶ者にとって猛烈な関心事です。たった一つ、この年を語る物証の板碑がありました。
『新編武蔵風土記稿』は、「古碑 一基…
阿字庚申塔(市郷土資料)
東大和市内でも、周辺市でも極めて特色ある庚申塔が雲性寺にまつられています。
「ァ字庚申塔」です。
東大和市では市文化財「郷土資料」に指定しています。
(画像:阿字庚申塔 雲性寺本堂内)
所在地 東大和市奈良橋1-363…
「ァ字庚申塔」です。
東大和市では市文化財「郷土資料」に指定しています。
(画像:阿字庚申塔 雲性寺本堂内)
所在地 東大和市奈良橋1-363…
高木薬師堂跡(現・薬師堂墓地)
円乗院の山門に向かって左側に、高木と狭山の境界でもある小径があり、沿って墓地があります。薬師堂墓地と呼ばれます。名の通り、ここに、地元では蟹峰堂(かにみねどう)と呼ぶ薬師様をおまつりする堂がありました。
江戸時代の地誌には次の通り記録されています。
『新編武蔵風土記稿』
「高木村の項に
薬師堂 字がが峯にあり、二間半に二間、本尊五寸許、木の座像十二神を左右に置り、各長八寸許り、」
『狭山之栞』
「蟹峰堂…
江戸時代の地誌には次の通り記録されています。
『新編武蔵風土記稿』
「高木村の項に
薬師堂 字がが峯にあり、二間半に二間、本尊五寸許、木の座像十二神を左右に置り、各長八寸許り、」
『狭山之栞』
「蟹峰堂…
タグ: 高木
高札1枚目 五倫の道
1枚目
定
一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事
一 鰥寡孤独廃疾のものを憫むへき事
一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるましく事
「人間は五倫(ごりん)の道を正しくせねばならぬ」
「鰥寡孤独廃疾(かんかわこどくはいしつ)のものを憫む(あわれむ)へき事
身よりのない者や病人をあわれむこと」
「殺人・放火・盗賊のような悪業をしてはいけない」
鰥寡(かんか)=「鰥」61歳以上の妻を亡くした夫、「寡」50歳以上の未亡人
定
一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事
一 鰥寡孤独廃疾のものを憫むへき事
一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるましく事
「人間は五倫(ごりん)の道を正しくせねばならぬ」
「鰥寡孤独廃疾(かんかわこどくはいしつ)のものを憫む(あわれむ)へき事
身よりのない者や病人をあわれむこと」
「殺人・放火・盗賊のような悪業をしてはいけない」
鰥寡(かんか)=「鰥」61歳以上の妻を亡くした夫、「寡」50歳以上の未亡人
高札3枚目 キリシタン禁止
3枚目
定
一 邪宗門之儀ハ是迄御制禁之通堅く可相守事
一 切支丹宗門之儀ハかたく停止之事
一 邪宗門(じゃしゅうもの)之儀ハ是迄(これまで)御制禁(ごきんせい)之通堅(かたく)く可相守(あいまもるべく)事
一 切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)之儀ハかたく停止(ちょうじ)之事
の3枚でした。内野杢左衛門が書き写した「広く会議をおこし」でも、「知識を世界に広め」でもありませんでした。杢左衛門は思わず、「ため息をついた」と子孫の方からお聞きしました。
定
一 邪宗門之儀ハ是迄御制禁之通堅く可相守事
一 切支丹宗門之儀ハかたく停止之事
一 邪宗門(じゃしゅうもの)之儀ハ是迄(これまで)御制禁(ごきんせい)之通堅(かたく)く可相守(あいまもるべく)事
一 切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)之儀ハかたく停止(ちょうじ)之事
の3枚でした。内野杢左衛門が書き写した「広く会議をおこし」でも、「知識を世界に広め」でもありませんでした。杢左衛門は思わず、「ため息をついた」と子孫の方からお聞きしました。
高札の書換え
慶応4年(1868)8月8日です。元佐賀藩士・古河定雄(一平)が武蔵国知県事になりました。8月28日、古河の部下から支配地に、次の通知が届けられました。 「高札を、あたらしい文面に書き替えて立てさせることになるから、在来の分を除去し、新規に板証を選び、一カ村に五枚ずつ大小を準備し、削りあげたものを泊り宿へ差出すよう準備せよ。・・・」(『府中市史』下p32)…
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