アイテム (合計 302個)

高札の書換え

1蔵敷高札場.jpg
慶応4年(1868)8月8日です。元佐賀藩士・古河定雄(一平)が武蔵国知県事になりました。8月28日、古河の部下から支配地に、次の通知が届けられました。  「高札を、あたらしい文面に書き替えて立てさせることになるから、在来の分を除去し、新規に板証を選び、一カ村に五枚ずつ大小を準備し、削りあげたものを泊り宿へ差出すよう準備せよ。・・・」(『府中市史』下p32)…

高札3枚目 キリシタン禁止

5キリシタン禁止慶応4年3000.jpg
3枚目
 定
 一 邪宗門之儀ハ是迄御制禁之通堅く可相守事
 一 切支丹宗門之儀ハかたく停止之事

一 邪宗門(じゃしゅうもの)之儀ハ是迄(これまで)御制禁(ごきんせい)之通堅(かたく)く可相守(あいまもるべく)事
一 切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)之儀ハかたく停止(ちょうじ)之事

 の3枚でした。内野杢左衛門が書き写した「広く会議をおこし」でも、「知識を世界に広め」でもありませんでした。杢左衛門は思わず、「ため息をついた」と子孫の方からお聞きしました。

高札1枚目 五倫の道

3五倫の道高札3000.jpg
1枚目
 定
 一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事
 一 鰥寡孤独廃疾のものを憫むへき事
 一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるましく事

「人間は五倫(ごりん)の道を正しくせねばならぬ」
「鰥寡孤独廃疾(かんかわこどくはいしつ)のものを憫む(あわれむ)へき事
身よりのない者や病人をあわれむこと」
「殺人・放火・盗賊のような悪業をしてはいけない」
 鰥寡(かんか)=「鰥」61歳以上の妻を亡くした夫、「寡」50歳以上の未亡人

高木薬師堂跡(現・薬師堂墓地)

薬師堂墓地の位置.jpg
 円乗院の山門に向かって左側に、高木と狭山の境界でもある小径があり、沿って墓地があります。薬師堂墓地と呼ばれます。名の通り、ここに、地元では蟹峰堂(かにみねどう)と呼ぶ薬師様をおまつりする堂がありました。
江戸時代の地誌には次の通り記録されています。
『新編武蔵風土記稿』 
 「高木村の項に
  薬師堂 字がが峯にあり、二間半に二間、本尊五寸許、木の座像十二神を左右に置り、各長八寸許り、」
『狭山之栞』
 「蟹峰堂…

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高木神社前の石造物

1高木神社前の石造物.jpg
 高木神社前、清戸街道に面して5体の石造物がまつられています。
 道路の拡幅などにより、この地に遷されました。
享保4年・1719から昭和4年・1929に至る村人達の祈りの対象です。

(画像1:高木神社前の石造物)
(画像2:左から馬頭観音(慶応4年・1868) 供養碑 馬頭観音(文政11年・1828) 供養之碑)
(画像3:左から庚申塔(享保4年・1719) 馬頭観音(天保5年・1834) 馬頭観音(昭和4年・1929))

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高木神社の歴史

高木神社.jpg
所在地 東大和市高木二丁目104番地
祭 神 社殿改築記念碑では高皇産霊神(たかむすびのかみ)
『狭山の栞』…

高木神社

清戸街道と高木神社.jpg
所在地 東大和市高木二丁目104番地
祭 神 記念碑では高皇産霊神(たかむすびのかみ)
『狭山の栞』…

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霊性庵

霊性庵三十三観音十七番札所.jpg
狭山観音堂 東大和市指定文化財 旧跡
本 尊 如意輪観音(真言宗智山派)
所在地 東大和市狭山2-1330
(墓地の地番が1331~1336まであるため、観音堂をそれらの番地とする場合もあります)
詠 歌 きぎ茂る 峰の庵を訪ねきて うれしくもきく 法の松風
地元では嶺松庵とも云います。
御朱印は円乗院で頂けます。
『新編武蔵風土記稿』は
観音堂 字南分にあり、二間半に五間、南向、如意輪の座像木にて作る、丈八寸許り、
古碑 一基…

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雲性寺

雲性寺.jpg

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阿弥陀堂跡

阿弥陀堂があった宮鍋一族墓地.jpg

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阿字庚申塔(市郷土資料)

1阿字庚申塔_雲性寺本堂内.jpg
 東大和市内でも、周辺市でも極めて特色ある庚申塔が雲性寺にまつられています。
「ァ字庚申塔」です。
東大和市では市文化財「郷土資料」に指定しています。
(画像:阿字庚申塔 雲性寺本堂内)
所在地 東大和市奈良橋1-363…

野火止用水が引かれるぞ!

1モニュメント・用水工夫.jpg
 それ!新しい畑の開発だ!!
 東大和の村々に慌ただしい空気が広がります。
玉川上水・野火止用水が出来る
「原の南っかたで、江戸へと上水がつくられるとよ」

里正日誌

里正日誌』の原本の簿冊.jpg

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貞治七年(1368)の板碑いずこ

1狭山之栞掲載図.jpg
 貞治七年(1368)は河越氏が時の幕府、関東管領上杉憲顕に反乱を起こし、武蔵に平一揆(へいいっき)と呼ばれる戦乱が起きた年です。河越氏は上杉軍に攻められ、河越館で落城の憂き目に遭いました。それに加わった山口氏の高清が自害を遂げたと伝えられます。
 この時、山口氏に隣接する東大和市域では何が起こったのか?
 郷土史を学ぶ者にとって猛烈な関心事です。たった一つ、この年を語る物証の板碑がありました。
『新編武蔵風土記稿』は、「古碑 一基…

豊鹿島神社本殿の棟札3 天正4年(1576)

天正4年(1576)棟札.jpg
 創建棟札(文正元年・1466)、天文19年(1550)の棟札に続いて3枚目になります。
(3)天正4年(1576)棟札について
  豊鹿島神社現本殿棟札に、天正4年(1576)のものがあります。
表面
   武州多東郡上奈良橋郷  細野主計殿 番丈衆十人御力合
  奉造立鹿嶋大明神社檀一宇事
   …

豊鹿島神社本殿(都重宝)

豊鹿島神社本殿.jpg
附棟札天文19年建立の記がある。
芋窪2丁目2067
農鹿島神社
昭和39年11月21日指定
豊鹿島神社は、その始まりが慶雲四年(707年) 」と言い伝えられ、今から1300年近い歴史をもっています。古く由緒ある神社といえば延喜式内社ですが何故かこの神社は式内社にはなっていません。しかし、江戸時代には御朱印を13石頂載していたので小さな式内社よりずっと立派です。本殿は関東地方でさえ稀な中世室町期の建築である。

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