アイテム (合計 302個)

名号塔婆

名号塔婆.jpg

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前野稲荷

現在の狭山神社全景.jpg
 狭山神社本殿の石段を登ると右側に稲荷社があります。明治政府による「一つの村に主要な神社は一社とする」との方針によって、明治39年(1906)、狭山神社境内に遷されました。それまでは、江戸時代からの新田開発による畑が続く南の前野の呼ばれる地域(現・第四小学校の北側、都営アパートの付近)にありました。
江戸時代の地誌
『新編武蔵風土記稿』は
・稲荷社…

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円乗院本堂左側の石造物

1江戸初期から幕末間の地蔵尊や石灯籠.jpg
 円乘院本堂左側に石造物が並んでまつられています。元禄7年(1694)の地蔵尊は東大和市内で二番目に古い地蔵尊です。
 二つの石灯籠があります。いずれも神様と仏様が一緒に信仰されていた神仏習合時代のものです。円乘院の山号を愛宕山とするように、山内鎮守・愛宕大権現に奉納されたものです。
地蔵尊1…

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円乗院の宝篋印塔

1お釈迦様と宝篋印塔.jpg
 円乗院の鐘楼門をくぐり参道を直進するとお釈迦様の像と並んで右側に宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。この塔について、円乗院では次のように説明をしています。
「第三十四世法印兊重(文化 14年(1817 )8月 16日示寂)は、天下泰平万民和楽祈願並追善供養のために宝筐印塔の建立を発願したが、果たさず示寂したので後住の明舜法印(明治 4年(1871 )10月 11日示寂)が先住の志を承けて、総檀家中と念仏女講中の助力によって文政 4年(1821…

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円乗院

円乗院全景.jpg
円乗院(えんじょういん)
 所在地 狭山三丁目 1354番地
 新義真言宗、智山派。本尊・不動明王。…

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八幡神社社殿改築記念碑

八幡神社社殿改築記念碑.jpg
 八幡神社本殿右横に「八幡神社社殿改築記念碑」があります。
 八幡神社の歴史を語り、旧地頭が本殿の建立に関わったことを綴る貴重な記念碑です。
八幡神社社殿改築記念碑裏面の上部に、次の通り社殿の改築経過が彫られています。

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五箇条の御誓文(内野杢左衛門の書き留め)

2五箇条の御誓文.jpg
 ご一新で、新しい時代に入りました。東大和の村々にも、新政府軍の動向が伝えられ、旧幕臣の帰国や浪人などの往来があり、厳しい空気が生まれていました。そのような中で、早速、「五箇条の御誓文」(慶応4・1863年3月14日発布)が伝えられたようで、蔵敷村の名主・内野杢左衛門は、資料のように書き留めています(『里正日誌』10p52)。

三光院

三光院山門.jpg

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ひがしやまと人のはじまり

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ひがしやまと人のはじまりひがしやまと人のはじまり 多摩湖内や空堀川沿いの遺跡から約2万年前の石器が見つかり、東大和にもこの頃から人々が暮らしはじめたことがわかります。その後、約1万年前からはじまる「縄文時代」のうち狭山丘陵が一番にぎわったのが約5千年前頃です。 丘陵のあちこちの遺跡で、竪穴住居のムラがあったことがわかります。ところが、それ以降、遺跡が急に少なくなり人口が減ったことを示しています。それと同じ状況がこの後の弥生時代、古墳時代まで続くのです。郷土博物館説明

おんじー!?

1大和町史研究10p71.jpg
 東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。
 地元の杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。
 寛政6年までは中核となる家族構成は4人から6人(年寄り夫婦、若夫婦、子ども)、以降、若干変動します。他市と比べても江戸時代普通の家族構成と云えるようです。
 ところが、天明2年(1782) から天保12年(1841)…

7.奈良橋村に入村してきた千葉卓三郎と鎌田家

鎌田喜三(鎌田家所蔵).jpg
 明治14年、奈良橋村の鎌田喜三郎家には、もう一人刺激的な人物が入り込んでいた。西多摩郡の五日市にいた千葉卓三郎である。公立の小学校「勧能学校」の教師であった千葉は、五日市からさほど遠くない同郡…

(3)十七番札所 霊性庵

霊性庵(地元では嶺松庵とも云う).jpg
狭山観音堂
本 尊 如意輪観音(真言宗智山派)
所在地 東大和市狭山2-1330
(墓地の地番が1331~1336まであるため、観音堂をそれらの番地とする場合もあります)
詠 歌 きぎ茂る 峰の庵を訪ねきて うれしくもきく 法の松風
地元では嶺松庵とも云います。
御朱印は円乗院で頂けます。
歴史を辿ります。
『新編武蔵風土記稿』は
観音堂 字南分にあり、二間半に五間、南向、如意輪の座像木にて作る、丈八寸許り、
古碑 一基…

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