アイテム (合計 302個)

工場と住宅・福利施設の一体建設(南街)

工場と社宅.jpg
東京瓦斯電気工業(株)の工場と社員施設
 鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
 第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
 当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…

市技芸 清水囃子

4_1清水囃子.jpg
清水3丁目786-1 清水囃子保存会
昭和49年9月20日指定
清水囃子は江戸の祭囃子 の亜流であって俗に「おはやし」とも若囃子(馬鹿ばやし)とも呼ばれていた。使用する鳴り物(楽器)は7孔の篠笛大太鼓(大胴)が1個、締大鼓(小太鼓)が2個当り、鉦(よすけ)が1個と拍子木である
起源については確たる文献は見えないが、幕末の頃に当時の北多摩郡清水村の農民たちが娯楽とし て鎮守の祭礼や「ものび 」などに演ずる祭囃子を要望して、高円寺村の半次郎という者が祭囃子の名…

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庚申塔

清水観音堂東側敷地.jpg

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庚申塚

現在の蔵敷庚申塚.jpg
所在地  蔵敷2-508-3 昭和49年9月20日指定
指定理由 近世のこの地方の民俗信仰及び地名を知る資料として価値のあるものである。
蔵敷二丁目の青梅街道から芝中団地のほぼ中央を通り、中砂の川橋を越えて新青梅街道に達する道があります。また、奈良橋庚申塚から斜めに北西に向かって進み、芋窪一丁目で青梅街道に達する道筋があります。
いずれも昭和の中頃までは主要な広域の交通路でした。この二つの道が交差する箇所(蔵敷2-508-3…

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庚申神社

庚申神社所在地.jpg

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建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社)

1『新編武蔵風土記稿』による記述.jpg
 元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。その時、東大和市域はどのような状況にあったのでしょうか。僅かな手がかりがあります。
 芋窪の豊鹿島神社に、建武3年(1336)銘の刻まれた鐘があったことが伝えられます。
豊鹿島神社は慶雲4…

御嶽神社

御嶽神社参道.jpg

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御霊神社

村山貯水池に沈んだ内堀地域.jpg

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徳川氏御朱印状(三光院他宛15通)

天正19年(1591)11月徳川家康朱印状.jpg
所在地 清水4丁目1132三光院 門屋大寿氏
指 定 昭和49年9月20日指定
説 明 旧清水村(現在清水)の氷川神社および三光院は、江戸時代氷川神社5石、三光院3石の朱印をうけていた。この御朱印状は徳川将軍が領有許可証として発行したもので氷川神社あて3通、三光院あて12通が現在輪王山三光院に保存されている。
用紙は当時の朱印状の例によって檀紙を使っている。…

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愛宕神社

狭山丘陵の峰にまつられた山の神と愛宕社.jpg

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慶性院

山門(東側)周辺.jpg

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村に地頭がやってきた

1初期地頭・陣屋の配置図.jpg
 天正18年(1590)、小田原合戦が終了、秀吉は家康に関東移封を命じます。家康は早くも7月から8月にかけて江戸に入りました。東大和市の旧家の杉本家28代勘解由種繁(寛永13・1636年6月14日没)は、当家の家譜を記す『代々のかがみ』に
 「当代、天正18年7月以前は小田原北条の領であったが、同年7月以降は徳川の領となる。…